自刃した徳川家の武士たち380余名の血が染みついた、血天井があることで有名な「養源院」。「血天井」と聞くだけでゾクゾクしてしまいますが、実は見どころがたくさん。しかもここでしか見られないものがあるんです!天才絵師「俵屋宗達」の絵画、徳川家歴代の位牌、時代に翻弄された浅井三姉妹三女・お江の肖像画、不思議な3つの家紋。たくさんの悲しみや切なる願い、無念、祈り……ここへくればきっといろいろなものを感じられるのではないでしょうか?あまり大きな寺院ではありませんが、中身のギュッとつまった観光スポットです、
観光
2016.06.10
血天井の養源院は見どころ満載
ここでしか見られない!?
writer : 鈴木ナナ
血天井
養源院の本堂は伏見城の「中の御殿」から移築されたもの。天井に血?と謎めいていますよね。慶長5年(1600年)、石田三成を足止めするよう命を受けた徳川軍・鳥居元忠を筆頭に伏見城を守る約2000名vs豊臣方の武将・石田三成を筆頭に4万の軍勢が攻める戦い。10日もの間攻防戦が続きましたが、最初は約2000名いた兵士たちも380余名となり、力尽きた鳥居元忠らは「中の御殿」に集まって自刃、伏見城は落城。
ところがその亡骸(なきがら)は、関ヶ原の戦いが終わるまで、残暑の残る夏の2ヶ月ほど伏見城に放置されていました。その間におびただしい血が床板に染み付き、洗っても削っても取れなくなってしまったのだそう。その板を外し、供養として養源院の天井に使ったものが「血天井」。ガイドさんの説明を聞きながら天井を見ると、鳥居元忠の手、首、足の跡がぼんやりと浮かび上がってきてその壮絶さを感じさせます。
複雑な関係にあった皇室・徳川・豊臣が並ぶ!?
秀吉の側室だった淀殿(浅井三姉妹の長女)が父・浅井長政の供養のため建てたのがこの「養源院」。その後、徳川秀忠の正室お江(浅井三姉妹三女)により再興された徳川家の菩提所でもあります。豊臣家に創建されながら、徳川家の菩提所となる不思議な因縁の養源院。ここでお江と秀忠の位牌をよく見てください。「菊」「葵」「桐」の3つの紋があるはず。この3つの紋を見られるのは日本でここだけなのです。
「菊」は天皇家の紋、「葵」は徳川家の紋、「桐」は豊臣家の紋。お江はのちに天皇家へ嫁ぐこととなる和子を生んだことで、天皇家とも深くかかわることになります。さまざまな因縁を秘めた3つの紋ですが、仲良く並んでいるとどこかホッとする気がしませんか?
ここでしか見られない!俵屋宗達の描く臨場感あふれる世界
本堂には俵屋宗達が描いた襖絵「松図十二面」や、白象、唐獅子、麒麟を描いた杉戸絵があります。すべて重要文化財。教科書などにも載っていたことがあるので、見覚えのある人もいるのではないでしょうか。無名の扇絵職人だった宗達は、養源院の絵師に大抜擢され、この杉戸絵で一躍名を馳せることになります。宗達は屏風絵はいくつか残していますが、襖絵はたったこれだけ!杉戸絵も併せて、どちらも養源院でしか見られません。今にも飛び出してきそうな臨場感あふれる動物たち、躍動感のある作風は大胆で幻想的。まさに天才・俵谷宗達の絵画をとくとご覧ください。
左甚五郎の鴬張りの廊下・小堀遠州の作庭
本堂の廊下を歩くとうぐいすの鳴き声のような音がする、「うぐいす張りの廊下」が。この廊下は、江戸時代初期に活躍した彫刻家・左甚五郎の作。夜間の侵入者を防ぐべく、一種の警報装置の役割を担っています。ゆっくり歩くほど、その鳴き声は出やすいのだそう。試しに歩いてみてください。
四季折々の美しい景色を楽しめる庭は茶人でもある作庭家・小堀遠州作。実は父親が浅井家・豊臣家に仕え、小堀遠州は徳川家の茶道指南役でもありました。小堀家もまた激動の時代を生き抜いてきたのでしょうか。春は本堂を覆うように枝垂桜が咲き乱れ、秋になると美しい紅葉に彩られます。
スマートポイント
- 何人かお客さんが集まると常駐のガイドさんが無料で中を案内してくれます。血天井を指し示しながら「ここに顔が、ここに座っていた跡が……」という説明はなかなかおどろおどろしい
- 俵屋宗達のポストカードなど販売されています。
INFORMATION
スポット名 | 養源院 |
---|---|
住所 | 京都府京都市東山区三十三間堂廻り町656 |
ジャンル | 観光スポット |
電話番号 | 075-561-3887 |
料金 | 500円 |
営業時間 | 9:00~16:00 |
定休日 | 1月21日、5月21日、9月21日 13:00〜15:00 |
駐車場 | あり |