どこまでも透き通った青の世界。
ぼくの沖縄初体験の場所は、世界でも有数の
ダイビングポイントとして知られる慶良間の海。
文化や歴史についてほとんど何も知りもせず、
ただ美しい海に潜ることだけが目的の沖縄旅行。
その時は、まさか沖縄に住むことになるとは考えてもいませんでした。
世界的なダイバー、ジャック・マイヨールとイルカを描いた
リュック・ベッソンの映画『グランブルー』。
その映画の虜になったのもその頃でした。
都会の刺激だけでは満足できず、自然の持つ力に気づき始め、
やがて関心は環境問題へ。環境問題と切り離せない暮らし方。
ネイティブアメリカンを始めとする先住民の暮らし方や世界観に
興味を持ち始めたのはまもなくのことでした。そんなこんなで、
関係する情報に触れるうち、遠くばかり眺めてていそれまで
見過ごしていた沖縄の存在にあらためて気づくことになったのです。
アイヌと沖縄の文化は日本に残る先住民文化。
自然界からもたらされる恵みを暮らしに取り入れ、
月の満ち欠けを農業や漁業の羅針盤とし、
台風などの災害とも上手に付き合う沖縄が、
自然と人との距離がとっても近い理想的な場所に見えました。
そして1999年、沖縄移住計画の企画づくりがスタート。
仕事で知り合った地元の先輩や、先に移住していた友人を訪ね、
計画を具体化させていったのです。
一番の問題はどうやって食べていくか。
塾講師をしながら農業をするとか、
蜜蜂を飼うとか、半農半Xも考えてみたのですが、
手仕事への憧れが強く、いくつかの手仕事を検討してみました。
陶芸、ガラス、木工・・・。
調べるうちに沖縄にはたくさんの伝統的な
手仕事が残っていることに度々感動。
柳宗悦が沖縄の工芸の美について書いた本に出会ったのもこの頃でした。
最終的に選んだのは芭蕉や月桃を使った手漉き紙づくり。
手漉き紙の持つ質感や沖縄の植物資源の可能性
がの魅力的に思えたからです。
そのようにして2001年2月、沖縄の大宜味村に移住。
紆余曲折を経て、今に至っているわけです。
さて、実際に住み始めてみると、
移住する前に感じていた魅力とは違う魅力に気づくようになりました。
人と人との距離が近くて濃い。対立をうまく避ける人間関係。
「気長に待つ」ことで保たれている心のゆとり。
伝統的な行事や文化が当たり前のように残る日々の暮らし。
共通するのは人の魅力なんです。
中国や日本など大国に挟まれてた長い歴史、
明治に入ってのヤマト世、沖縄戦を経てのアメリカ世から再びヤマト世、
そして今、沖縄県の基地問題。
それらの歴史を乗り越えるというより、
一緒に生きてこざるを得なかった沖縄の人たち。
透き通った青い海や亜熱帯の緑の森といった自然の魅力と同じように、
沖縄の人の魅力は住めば住むほど、大きくなり、知れば知るほど、
ひとことでは表せないことがわかりました。
そんな沖縄が、光と影とともにある沖縄が、ぼくは大好きです。
福田展也
※こちらは、公開日が2015年3月20日の記事となります。更新日は、ページ上部にてご確認いただけます。