2015年。錦糸のように続く時のフローで、また新たな年が始まりました。
私は、というと、JTRIPでの活動が始まりました。
ホームグラウンドに選んで早7年、「沖縄を好きになった」理由
という命題の元、改めて私と沖縄の有機的・必然的なよすがに、
想いを巡らせてみました。
皆さん、初夢見られましたか? 私は見たけど忘れました(笑)。
でも見続けてますよ、夢。常に。
これ「常夢」って呼んでます(初夢に対して)。
ということでテーマは「夢」。私の“夢”の物語は、
イマまさにココ沖縄の地で現在進行形、です。
かつて。通奏低音のごとく染み付いていた、漠然とした違和感。
“ココではないどこか、イマではないいつか”という、根拠の無い否定。
ガキの頃、“ぜってーならねー”と豪語していた「リーマン」として、
大学卒業後約17年間生きてきた私のメンタルは、
果たしてそんなものだった。
“世界を歩く”若者だった。中2の夏、人生初の“世界”で
アメリカの田舎にホームステイ。多感なハイティーン時代には
カナダ留学、大学時代は欧州を散策し、社会に出てからはさらに、
NYで美術館巡り、アラスカでサーモンをフィッシュオン!
ヒマラヤトレッキングもなんのその。そんな私がいつしか辿り着いたのは、
(世界ではなく)沖縄だった。「ココか!」を直感。
転職を機に、2008年9月移住を決めた。
ところで。“表現者”であることを夢見ていた私は、
東京で13年の出版業界、沖縄でも4年半広告業界で、
編集、撮影、デザインなど表現の現場に携わり多くの仕事を
世に送り出して来た。3人兄弟の次男で、兄は芸術家、
弟も東京でアートセンターを主宰するなど、
それぞれ表現の世界に身を置いている。
が、沖縄に移住した私はといえば、あいかわらずリーマンで、
(出版物や広告媒体というプロダクツ以外では)具体的な、
そして自らの名による「作品」は残しておらず、
表現者と呼ぶには程遠し…。沖縄という“ココ”と出逢ってなお、
“イマではないいつか”という茫漠とした迷いが、ゆらめいていた。
さて。沖縄に魅入られ過ぎて、世界が遠くなっていた私は、
ある時旅の達人M氏との出逢いをきっかけに、
世界への渇望がはたと蘇る。ベトナム縦断、台湾一周、
仕事ではグアム取材も呼び寄せた。そうだった。やはり世界は、
多様な価値観と、ワンダーなインスピレーションに満ちていた!
しかし。リーマンであるが故に“世界を歩く”のは容易でなし…。
そんな折、アートプロデューサーI氏と邂逅。
「自らの魂を開放せよ(喝!)」という、思いがけない
心のビンタを頂戴し、「イマだ!」と脱サラを決意。
遂に、フリーランスとして、自らの名で表現する道を選んだ。
かくして。「世界を歩く」+「表現者」という、2つの本質が調和。
それは、長い間模索していた“ココとイマ”の解でもあった。
現在私は「世界一周プロジェクト」を画策中。世界中のネタを、
「世界を歩く表現者・小川研」というフィルターを通し、
何かしら「作品」として世にアウトプットする構想だ。
表現者の本質とは、世界にコミットすることに他ならない。
私は大マジで信じている。
この計画が、世界の“ココではないどこか、イマではないいいつか”に迷う、誰かの夢のエッジに触れることを。
これが私の「常夢」である。
思うに、夢を語る際、大切なのはインスピレーションに
忠実であることです。己の本質に敏感に、常にイメージを抱き、
信じ続けること。そうした夢には、
ココ沖縄では大いなる力が働いてくれたりします(知らないうちに)。
私の場合、(もちろん最後にアクションするのは自分ですが)、
とりとめもなく断片的に散っていた様々なヒントを
ドンピシャな出逢いで紡いでくれ、奥底に眠る知られざる
ポテンシャルを引き出してもらいました。
そう。私にとって沖縄とはまさに、夢の叶う奇跡の島なのです。
さあ、今日もはりきって夢を見ようじゃないですか!
あ、昼寝じゃないですよ(笑)。
特集
2015.03.21
(「常夏」ならぬ)
「常夢」の島、沖縄
writer : 小川研
小川研
世界を歩きまくって醸成されたオンリーワンのフィルターを媒介し、沖縄情報を立体的に熱(苦し)く伝える。