沖縄をはじめて訪れたのは、かれこれ30年も前のことです。
当時勤めていた会社の社員旅行でした。
その前から沖縄にはあこがれみたいなものはあったので、
社員旅行が沖縄に決まった時は、心の中でガッツポーズでした。
その社員旅行ではじめて沖縄にやって来た時、
ふっと「帰って来た」という感覚になりました。
なんなんでしょう。
ほっとするとか、安心するとか、とはちょっと違うのです。
「帰って来た」としか言いようのない感覚でした。
この話を人にすると、前世の記憶がどうとか、
生まれ変わりがどうとか、聞きますが、
そんな難しい事はよくわかりません。
それから何度となく沖縄を訪れる度に、
行くのではなく、帰るという気持ちになります。
沖縄病と言われ、何度も沖縄に通う人もいますが、
私の場合ホームシックにかかった感じに近いような気がします。
沖縄に触れると、魂が喜ぶような感じを味わうのです。
それでいて、ある時期、沖縄に拒絶感を感じた事もあります。
いつものように、行きたい(帰りたい)気持ちは湧くけれど、
今は来るな!と、弾き飛ばされる感じです。
数年続きました。
好きすぎると相手を見れなくなる、会うと異常に緊張してしまう。
振り向いてほしいのに、振り向いてくれないもどかしさ。
そんな恋心のような感じに近かったかもしれません。
なのに、好きな理由を聞かれても返答に困ってしまいます。
沖縄が好きか?と聞かれると、好きと答えます。
沖縄のどこが好きか?と聞かれると、答えに困ってしまうのです。
もちろん、青い海、青い空は無条件に最高です。
しかし、マリンスポーツもしないのになぜ沖縄に行くのか?
と、よく聞かれて、返答に困ります。
しかし、好きには理由があってしかるべき。
そして、沖縄の魅力を多くの人に伝えたい。
最近そう考えるようになりました。
「どこが魅力なのか、なぜ魅力なのか。それらを明らかにすることは、
そのまま沖縄という文化圏の本質を具体的に伝えること。」
と、昔なにかで読んだことがあります。
読んだ当時はピンときませんでしたが、
今ならその通りだなとうなずけます。
沖縄というのは、奥に行けば行くほど知らない景色が見えてくる
という多様性があり、表側の沖縄はまぶしすぎて闇が見れないのです。
目を凝らして見ようとするのだけど、見てはいけないかのように、
また、まぶしくて目がくらんでしまうのです。
そんな多重性もあり、
本質的な沖縄にはなかなかたどり着けないのかもしれません。
それほど沖縄は深いと感じます。
そんな深い沖縄の魅力を一言では到底伝えられないのです。
あえて言うなら、日本であって日本でないところ。
アメリカのメディアが沖縄報道をする時、
必ず「オキナワンズ」と表記するらしいです。
決して「ジャパニーズ」とは書かない。
アメリカのメディアは日本と沖縄を区別して考える。
そんな考え方と意味は違いますが、やはり異文化を感じます。
本土とは異なる歴史を歩んできた沖縄。
その特有な多様性文化、風土、自然、そこに暮らす人達。
そして、沖縄の風が、匂いが、音が、
目映い光が、影が、声が、心が、力が、流れが、
そのすべてを好きになりかけて30年。
まだまだこれから、
本質的な沖縄を好きになってゆく途中段階のような気がします。
ひとつだけ、小さな好きを補足しますと、
ジャニスを聴きながら58号線を北上するのが好きです。
これからも、
沖縄という宇宙に包まれながら漂い続けていくのだと思います。