比嘉区のエイサー保存会
ウークイの夜8時ごろ、神女の家「ヌンドゥンチ」での奉納踊りからエイサーが始まる。
ヌンドゥンチは比嘉公園の下の方にあり、ほこらのように見える「カミヤー(神屋)」や、昔から行事が行われる「アシビナー」などのすぐ近くにある。
奉納エイサーを踊り終えたら、比嘉エイサーメンバーは4班に分かれ、100世帯ものグヮンス(元祖=仏壇)へくまなく供養の「島マーイ(島廻り)」をするのだ。信仰が生きている比嘉区では、エイサーが廻って来た後でないと、絶対に旧盆最後の送り火を焚かない。供養をこなす緊張感と、先祖に対する信仰心から、エイサーをする人も迎える家庭も真剣だ。
夜の行事でしかも動きがあり、その家庭や踊りの邪魔にならないように気を使いながらの撮影なので見づらくて恐縮だが、数年前に筆者が撮影した貴重な比嘉区島マーイの、雰囲気だけでもご覧あれ。
離島には昔沖縄の味わいが色濃く残る
比嘉区のエイサーは、かの有名な「全島エイサーまつり」の前身、「コザ市エイサーコンクール」第1回目の優勝チームだ。
1997年に巨大な浜比嘉大橋がかかり、沖縄本島と車で行き来できるようになったのだが、「離島だから個性的で斬新なエイサーに感じられたのではないか」と、比嘉区の新門区長は語る。
サンゴ敷の集落の細道を歩いて、エイサーは1軒1軒を丁寧に廻る。
仏壇のある家は琉球赤瓦屋根であることも多く、写真の民家は伝統的で立派な佇まいだ。手前に見える生垣は伝統的な目隠し「ひんぷん」だ(屋根上の黒い砂袋は台風対策)。
家の前面まん中あたりに通常仏間はあり、その前のサンゴ敷の庭で、仏壇に向かってエイサーは踊られる。観光で訪れたなら、伝統と島人の思いに敬意を払いながら、心震える芸能を堪能させてもらおう。
島マーイもいいけど、全員集合もいい
ヌンドゥンチを出発した島マーイは集落すべての仏壇を廻るまで終わらない。昔は日付が変わってからやっと、とか、朝までかかってエイサーしたよ、などの話をきく。ここ近年では、大体夜10~11時ごろに終われるという。島マーイが終わる11時ごろ、4班すべてが集合して、広い港湾前緑地広場でこの日最後の踊りをする。
仏壇への供養と変わって、この時見逃さないでほしいのは、比嘉区エイサーの美しい隊形だ。Hのように列を作っていたかと思えば、気づかぬうちに形がXに変わっていたりして見事だ。また30分くらいをノンストップで演舞するのも自慢のひとつだ。
集合しての大勢での踊りは、翌日の旧暦16日夜9時から、同じ緑地広場で奉納エイサーが行われる。旧盆エイサーに間に合わなかった場合、じっくりと鑑賞できる良い機会だ。
貴重な寄付からも夏の情緒が感じられる
比嘉保存会エイサーや他の団体も、演舞に対しての外部からの寄付を歓迎している。
エイサーをずっと観察していると、踊りを奉納された地域の方が茶封筒を渡しに行く光景が見られる。実はこの寄付がエイサー活動の大きな支えなのだ。太鼓の張替えや備品の購入にあてるということだから、思い切って地元の人に混ざり、自治会長や婦人会、地謡や青年会長を探して渡してみよう!感動をありがとう!の気持ちが伝わり、青年達の来年の心の糧ともなることだろう。
とある青年会では「○△様から金一封~♪」と楽しく読み上げてくれたりする。
こちらの画像は浜比嘉島からそう遠くない平敷屋の有名なエイサー。旧暦15日や16日にハシゴ鑑賞もおすすめだ。