青空と暗闇のコントラスト
シムクガマを訪れた日の沖縄は、かざした手が透けそうなくらい空が青く澄み渡っていました。あまりに爽やかだったので、深い悲しみがかつてこの島々を飲み込んだことが、遠い世界で起こった物語のように思えました。
当日、案内していただいたのは読谷村史編集室の上地克哉さん。沖縄戦をはじめ沖縄の歴史や文化財をライフワークにしています。
本島南部にある南風原文化センターに勤務していた時には、多くの人に沖縄戦を体感的にとらえてもらおうと、町内にある旧沖縄陸軍病院壕の当時の匂いを再現する取り組みに中心的にかかわっていました。
現在から過去へタイムスリップ
地元の小学校に通う上地さんの二人のお子さんと一緒に、緑まぶしいうりずん(初夏)の林を抜け、ようやくたどり着いたシムクガマ。全長2.6kmあるというガマは、大きな口を開けて深い暗闇をのぞかせていました。
光輝く現在から深い闇の奥にある過去へとさかのぼる旅はこのように始まったのです。
71年も前のことですから、目の前に広がるこの場所と、実際に起こった出来事とを結びつけるのはそう簡単なことではありませんでした。
暗闇に目が慣れたころ、ポツリポツリと語られていた上地さんの言葉のおかげで、ようやくあのころにタイムスリップすることができたのです。
1000人の命を救ったのはハワイ帰りのウチナーンチュ
4月1日、シムクガマの前に銃を持った米兵が現れた時、ガマの中にいた1000人近い住民の中には上地さんのお母さんの姿もありました。
当時の国の教育で「鬼畜」と教え込まれていたアメリカ兵。初めて見る外国人の姿に恐れおののく住民達。
パニックに襲われた住民の幾人かは、何もせず無抵抗のまま殺されるくらいなら、戦って死のうと竹槍を手にガマの外へと向かったそうです。
「だいじょうぶ、アメリカ兵は民間人を殺したりはしないから」
移民先のハワイから沖縄に帰ってきた比嘉平治さんと比嘉平三さんが混乱する仲間達を無事説得。
彼らがもたらした正しい情報のおかげで、誰一人として集団自決で命を落とすことがなく、愛する肉親に手にかけることもなく、避難していた住民は米軍に投降し保護されました。
比嘉さんたちは米軍が上陸する前から、「あんな大きな国に戦争を仕掛けてどうするんだ」と、親しい人に話していたそうです。
「死ぬことしか考えていなかった」
「アメリカ兵に女性はいたぶられ、大人も子どもも八つ裂きにされて殺される」。アメリカ軍の攻撃を目の前にして、少なからぬ人が「死ぬことしか考えていなかった」という沖縄戦。
上地さんは次のように話をしてくれました。
「被害がなかったシムクガマでも一部の若い女性は一週間近くもガマから出なかったようです。私の母の家族も米兵に何をされるかわからないと、しばらくは残っていたそうです。チビチリガマに比べると『何もなかった』といえるかもしれませんが、あの時のことがトラウマになって二度とシムクガマには近づきたくないという人は母も含めて少なくないのです」
歴史を振り返ることで未来が見える
「アメリカ人は鬼畜だ」という戦時下教育と、日本軍が実際に行ってきた蛮行を、アメリカ軍も同じようにするはずだという間違った情報がまことしやかに信じられていた当時、アメリカ人を実際に知る2人の存在が、文字通りの明暗を分けたのです。
沖縄戦が終わった後、比嘉さんた達「人に手を上げてはいけない。嘘もついてはいけない」と、ことあるごとにかわい孫達を諭していたといます(『もう一つの沖縄をたどる旅 vol.6 チビチリガマ』に続く)。