戦争に翻弄されてきた沖縄だからこそ必要な、もの想う場所
佐喜眞美術館の見所は、「原爆の図」で知られる丸木位里・俊夫妻の共作による沖縄戦の図と日本で有数のケーテ・コルヴィッツのコレクション、そしてヨーロッパでも高い評価を受けている浜田知明の版画と彫刻作品でしょう。
「佐喜眞美術館は反戦美術館として設立されたわけではないんです。人間の奥深いところに降りていくことで創造されるのが芸術で、その作品を通して人は自分の内にある真実に向き合うことができる。戦争に翻弄されてきた沖縄だからこそ、人が芸術作品を前にして心の奥底にあるものを確認する場所、もの想う場所、そういう空間が必要だと思い続けていたのです」
壁全体がガラスでできた喫茶室で静かに語ってくださったのは館長の佐喜眞道夫さん。母親を亡くして哀しみに圧倒されていた中学生のころ、遺影に並べらて飾られた弥勒菩薩を眺めるうちに、心の中を覆っていた哀しみの氷が徐々に溶けていくのを体験したそうです。芸術作品を通して大きな変化がもたらされることを発見したその時以来、芸術に対する憧れが芽生えたといいます。
貫くテーマは愛、美、平和
「『地獄』と向き合ってそれを作品に仕上げることができる人が丸木さんやケーテなのですが、共通しているのは祈りの気持ちを持っているところです。中国戦線に初年兵として送られて悲惨な現場を見てきた浜田さんや、広島と沖縄に向き合って現場で絵を描くことにこだわった丸木さんが亡くなった人を描く時、人間に対する尊厳がそこにはいつもあったのです。ケーテの作品を貫いているのも、母性という普遍的な心性に貫かれた慈しみと哀しみです。芸術作品が私達に伝えてくれるのは愛や美、そして、その二つが存在する前提である平和という状態なんですよ」
館長の説明の後、学芸員の上間かな恵さんに案内していてだいたのは中央部にある三つの部屋。沖縄戦当時、住民や兵隊が身を隠したガマ(沖縄の自然洞窟)が入り口から奥に進むにつれて広くなるように、三つの部屋も奥に進むにつれて小、中、大とサイズに変化がつけられています。
語りかけてくる写真、彫刻、エッチング
最初の部屋には佐喜眞コレクションを代表する作家、上野誠の広島や原爆をテーマにした作品と、古代文化に影響を受けたという利根山光人の作品が、女性写真家の石内都の作品とともに展示されていました。
「いろんな写真家が撮り続けてきたヒロシマの私は何を撮ればいいのだろう」と考えながら広島へ行き、石内は私が撮るべきものは原爆資料館の遺品だと決めたのだそうです。
「既製服が一般的でなかった当時、子どもの体にぴったり合うように心を込めて洋服を縫い上げたお母さんもいたはずです。このワンピースをまとった時に少女がどういう気持ちだったか、そのワンピースを仕立てている時、母親は何を思っていたのか、写真を観ると被曝の瞬間にこの服を身につけていた一人ひとりのことが思い浮かびます」
そう問いかける上間さんに続いて2番目の部屋へ。
そこに展示されているのはドイツを代表する作家、ケーテ・コルヴィッツの作品と代表作「初年兵哀歌」で知られる浜田知明の作品でした。ドイツの国立戦没者追悼施設ノイエ・ヴァッヘに展示されているブロンズ彫刻「ピエタ」。16世紀のドイツ農民戦争で命を失った我が子を戦場で発見した母親を描いた版画。コルヴィッツや浜田の作品に描かれている人物は、ぎりぎりまで研ぎ澄まされたシンプルな表現によって、見る者の想像力をかきたてます。
沖縄戦の生存者の言葉
3番目の部屋に展示されているのは、沖縄の写真家、比嘉豊光と郷土史家の村山友江が戦争体験を、各地域の島クトゥバ(沖縄の言葉)で聞き取りを行った際に撮影した証言者の肖像と、佐喜眞美術館を誕生させるきっかっけになった丸木位里・俊夫妻の作品です。
時々言葉を詰まらせていたという沖縄戦の証言者の肖像写真。「彼ら彼女らが見せた沈黙の瞬間にこそ、戦争の真実が現れているんですよね」。深い表情をたたえる老人達の写真を前に、上間さんはそう説明してくれました。
そして、丸木夫妻が描いた大作に描かれている数多くの沖縄の人達。表情や佇まいを通じて何か大切なことを訴えているように感じられます。作品の制作に先立って繰り返されたという多くの人達との対話。何度も重ねられてきたコミュニケーションが作品に言葉では訴えることのできない大きな力を与えたのだそうです。
少女の自決シーン、白旗を掲げ年少の子どもを引き連れて投降する健気な少女、砲撃で表面が吹き飛ばされ真っ白な地の色がむき出しになった石灰岩、あの世に旅立った霊がこの世に戻ってくる時に変身するといわれている蝶の群れ、女性をスパイ容疑で殺した時に使った竹槍、ガマを出たばかりの幼子と母。丸木夫妻が描いた壁いっぱいの大きな作品にはさまざまな姿が描かれています。
平和構築の礎に
「左上にたくさんの風車が描かれていますよね。沖縄では数え年で97歳になると『カジマヤー』というお祝いをするんです。『沖縄戦で幼くして亡くなった子ども達が次に生を受ける時はカジマヤーまで安心して長生きできる世界であってほしい』。そういう気持ちで描いたそうです。この絵の特徴のひとつは、戦争に巻き込まれた多くの人達に瞳が入っていないことです。心の状況を表す瞳が空白になっていることで、戦場にある人間の精神状況を表しているともいえます。ただ、中央にいる子どもには瞳があり、まっすぐ前を見つめています。『人間は忘れたり無知でいるとまた同じ過ちを繰り返してしまう。しっかり自分の目で見て深く考えていくことが戦争をしない大きな力になる』。丸木夫妻のそのような深い思いがこの絵には込められているのです」
上間さんが静かに、そして丁寧に解説してくれたように、絵の中の人物一人ひとりに、対話を通じて知り合った生存者から預かったメッセージと二人の切実な希望を丸木夫妻は託しているのだそうです。
美術館を出る前に佐喜眞さんに戦争を知らない世代に何かメッセージはないか尋ねてみました。
「沖縄戦をしっかり知ることは平和構築の礎になるんです。地上戦の闇から9条の光を見てきたのが沖縄で、その記憶は未来の戦争を止める力になるんですよ。芸術は考える力を再構築して、未来を形づくる基礎になると信じています」。
返ってきたのは過去から未来を描見据える言葉でした。
◎屋上からは普天間基地が見渡せます。また、屋上にある階段には正方形状の覗き窓があり、6月23日の慰霊の日にはこの小窓から海に沈む夕日を眺めることができます。